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政治家・衛藤晟一。
25歳の大分市議会最年少初当選から今まで、政治家として生きてきた。
なぜ、政治の道に魅かれ、浮き沈みを味わいながらも迷うことなく、
一心不乱に政治を追い求めるのか。

Why 1: えとうせいいちの生い立ち
大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学[1]。大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で右派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。
Why2: 学園正常化運動のリーダーとして
大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学[1]。大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で右派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。

Why3: 大分市議会議員に最年少で当選
1973年、大分市議会議員に当選。1979年には大分県議会議員に当選し、障害者の自立を促す福祉政策や、家族と地域社会を護る政策を推進する。また、子供の教育政策にも取り組んだ。
Why4: 県議会選挙を経て、いざ国政に
1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1990年2月、第39回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・塩谷立・細田博之・古屋圭司・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦など)。3期連続当選するが、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では民主党の釘宮磐に敗れ落選。2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では小選挙区で落選するも重複立候補制度の適用により1996年同様に復活当選。
Why5: いつ保守思想に目覚めたのか
国政においても、障害者自立支援、家族政策、教育政策、教育政策の延長としての歴史問題、拉致問題に取り組む。
人権擁護法案に対しても、人権の名の下に言論の自由や表現の自由を抑圧し、ひいては「人権ファシズム」を惹き起す恐れがあるとして、古賀誠元自由民主党幹事長ら推進派に激しく対峙した。
拉致問題にも、重大な人権侵害であるとともに日本の国の主権侵害であるとし、2004年4月に結成された「拉致議連」にも結成と同時に加入する。拉致議連では事務局長を努め、関係省庁や家族会をはじめとした各種団体とのやりとりや、政府による対北朝鮮政策の策定に裏方として関わった。
教育問題では、2004年10月、イギリスでの歴史教科書問題を時のサッチャー政権が教育基本法を改正することで「自虐偏向」を「正常化」したとされる事例を現地調査するための、与野党合同の「イギリス教育改革調査団」を設立。
2005年4月に、PHP研究所から中西輝政監修、安倍晋三幹事長代理らと共著で『サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道』を上梓する。
教育問題の一環として、教科書問題にも取り組み、慰安婦に関しては、1997年に中学校の教科書に掲載されることからその存在の是非に疑問を抱き、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し(同会・幹事長に就任)、存在肯定派と否定派の両派の有識者を招いて意見を聞く勉強会を主催し、その成果を1997年12月に『歴史教科書への疑問』(展転社)を発刊した。
Why6: なぜ福祉、社会保障に心血を注ぐのか
大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学[1]。大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で右派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。
Why 7: 皇室への思い
大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学[1]。大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で右派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。
Why8: 美しい国と強い国
大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学[1]。大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で右派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。

Why9: 安倍晋三総理との深い縁
大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学[1]。大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で右派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。



「連合後援会事務所開きダイジェスト」
2013年5月29日

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